SWANS |
2015年1月27日 渋谷TSUTAYA O-EAST レポート:とっかり一号
アメリカのロック・バンドSWANSの3度目の来日公演が、TSUTAYA O-EASTで2015年1月27日に行われた。SWANSはヴォーカルのマイケル・ジラを中心に'80年代初期のニューヨークのパンク&オルタナ・シーンの中から登場し、アンダーグラウンド・シーンを席巻したグループであるが、その歴史の中で音楽性が激しく変化したバンドでもある。
'83年にファースト・アルバム「Filth」でデビュー。ノイズ&インダストリアル系の要素を取り込んだ刺々しい音の触感、大型工作機器の蹂躙を思わす様な超スロー&超ヘヴィなミニマル構造のリズム、そしてジラの情感を一切排した殺伐としたヴォーカル、大都会の抑圧や暴力や欲望をストレートに表現するテーマ性etc., etc.、そのサウンドは'80年代当時のシーンの中では飛び抜けて強烈なインパクトを放つ存在の1つであり、当時の時代の空気を見事に捉えた音楽でもあった。その後'83年に「Cop」、'86年に「Greed」&「Holy Money」と順調に作品をリリース。この初期のSWANSでは、集大成として'86年に限定盤で発売された2枚組ライヴ・アルバム「Public Castration is A Good Idea」を推す。聴き手を圧殺するかのような超重圧的かつ脅迫的な音世界は比較対象が全く思い浮かばない。
この初期の集大成作「Public Castration~」以降SWANSはその音楽性を大きく変化させていく事になるのだが、変化の最大の要因は女性メンバーでヴォーカル&キーボード担当のジャーボウの加入である。まず'87年のスタジオ2枚組の大作「Children Of God」、これは宗教をテーマにした荘厳な音作りで、以前のヘヴィさを継承しつつもクラシカルなアコースティック楽器を導入、同時期のTEST DEPTやLAIBACH等のノイズ&インダストリアル系バンドのクラシックへの接近という動きに同期した作風でもあった。また別プロジェクトのSKINも始動させ、こちらはジャーボウとジラのヴォーカルを中心に同時期の英4ADレーベルの作風を思わすゴシックで耽美的な音作りを追求。そしてSWANSの変化は'88年に発表したシングル「Lone Will Tear Us Apart」(JOY DIVISSIONの名曲のカヴァー)で決定的となる。以後SWANSの歌世界は2人の男女関係を想起させる内容へと急速に変化し、またジラの低音を生かしたヴォーカリストとしての新たな魅力が開花し、伝統的なアシッド・フォーク的「歌」に回帰していくプロセスでもあった。'89年のメジャー作「The Burning World」では、もはや初期の破壊的で殺伐とした重低音サウンドは全く聴かれず、アコースティックで叙情的なヴォーカル・アルバムとなり、大きな驚きとともに迎えられた。ちょうどこの時期'91年にSWANSは来日、筆者はこのライヴを観ているが、音楽性は更に変化し、ハードに掻き毟られるギターの重層的響きと、内なるエネルギーをポジティブに発散する様なドラマティックな力強さが印象的だったが、やはり中心に有るのはジラのヴォーカルであった。
SWANSのメジャー展開は1枚で終わり、'91年に自主レーベルYoung Godレーベルを設立、「White Light from the Mouth of Infinity」をリリース、来日時の音楽性を更に推し進め、プログレッシヴ・ロック色やシューゲイザー色も感じさせる2枚組の力作だが、記憶している限りではこの頃から日本国内でSWANSの評論家受けが極端に悪くなる。やはり多くのリスナーは初期の殺伐として破壊的なSWANSを期待していたという事なのだろうか? そして'80年代には時代の空気とあれほど密接にリンクしていたSWANSの音が、いつのまにか時代から乖離してしまった結果とも言える。洋楽シーンの流行は、オルタナ・ノイズ&インダストリアル系からハウス系へと主流が変わり、それまで国内メディアでSWANSを積極的に推していたFOOL'S MATE誌が雑誌の形態と編集方針を大きく変えてしまった事はその象徴、'90年代中期以降はSWANSはニュースもあまり伝わってこなくなる。'92年には「Love of Life」、'95年に「Great Annihilator」、'96年に「Soundtracks for Blind」をリリースするも、遂には'97年にSWANSは解散してしまう。以後ジラはサイケデリックでアコースティックな歌物ユニットTHE ANGELS OF LIGHTを結成、SWANSという重圧から解放されたかのような歌世界を追及、一方で自身のレーベルYoung Godからサイケデリック系の若手アーティストのCDを積極的にリリース、アメリカのアンダーグラウンドなシーンでフリー・フォーク系と呼ばれる新たな動きを下支えする役割を担っていった。
そんなジラが2010年に初期からのメンバー、ノーマン・ウエストバーグらを集めSWANSを再始動、再び精力的に活動を開始する。2010年に「My Father Will Guide Me up a Rope to the Sky」、2012年に2枚組「Seer」をリリースし、2013年には再来日(筆者未見)、そして2014年にまたも2枚組の「To Be Kind」をリリース、今回の3度目の来日に至るのである。
現在のメンバーは
マイケル・ジラ Michael Gira (vo, g)
ノーマン・ウエストバーグ Norman Westberg (g)
フィル・プレオ Phil Puleo (dr)
クリストフ・ハーン Christoph Hahn (steel g)
ソー・ハリス Thor Harris (perc., vibes, bells, tuba, viola, etc.)
クリストファー・プラヴディカ Christopher Pravdica (b)
の6人。約2時間半休憩無しのステージは20分超の大曲ばかり(含むメドレー)をこちらの体が振動する様な大音量で演奏。事前には聞いていたが、それでも圧巻のヴォリュームだった。楽曲は初期を思わせる重苦しくもエッジの立ったリズムの脅迫的反復構造を軸に、サイケデリックなギター・サウンド、そして混沌としたドローン(通低音)が、長丁場の楽曲の中で巧みな構成力で組み上げられたものだ。楽曲の格子はステージ向かって右側に配するノーマンのギターとクリストファーのベース、フィルのドラムスの3人が担い、クリストフのスチール・ギターがドローンを、そしてソーが様々な楽器で要所要所にアクセントを付加するという役割分担、混沌とした大音量の中で様々なアコースティック楽器の音色をしっかりと響かせていた。ヴォーカルのジラはステージ・フロントでギターをかき鳴らしつつ、時に両手を大きく広げながらのアクションも見せ、異形のカリスマとでも言うべき魅力を終始発散し続けていた。巧みな構成力もさることながら、特筆すべきはその演奏の集中力だろう。2時間半という長丁場のステージをこれほど短く感じたライヴも珍しい。アンコールは無かったが、不足感は全く感じなかった。
言うまでも無くSWANSのサウンドの核に常に存在するのはソング・ライターとして類稀な資質を持つリーダー、ジラの歌である。今回来日記念盤として発売されたEP「OXYGEN」は最新アルバム収録の楽曲「OXYGEN」が全5バージョン集録され、初期のギター弾き語りのフォーク・ナンバーが、序々に壮大で破壊的なバンド・サウンドへと昇華していく過程を追認する事が出来、現在のSWANSの楽曲生成のプロセスをあえて見せているという点で興味深い。
再結成後のSWANSは、自らの皮膚感覚、過去のバンドの様々な時代毎の音楽性の推移、そして時代毎の空気の流れ、それら全てを俯瞰し、距離を取りながら長いキャリアから来る余裕を持って自然体で音楽を生み出しているといったところだろうか。今回の会場である渋谷O‐EASTは平日にもかかわらずスタンディングの超満員であり、筆者が観た'91年度の観客数を軽く倍以上は上回っていた。初回の来日と今回の来日、その間約24年で音楽メディアの有り方も大きく変わり、時代も1回りも2回りもした。そんな今、かつて時代に大きく翻弄されたSWANSが、今現在過去最高と言えるバンドのポテンシャルを発揮し、以前を大きく上回る支持を得ている事実は実に感慨深かった。